以前にこのブログでもご紹介しましたが、
わたしの実家には17歳になるおじいちゃん犬がいます。
名前はリックです。
8月初旬、リックが天国に旅立ちました。
ペットとは言え、
わたしたちにとっては、17年も生活を共にしてきた家族です。
もう十分すぎるほど長生きをしたリックですが、
やはりお別れには、家族みんな涙なしではいられませんでした。
その日、わたしは実家に帰るわけにはいかなかったので、
リックと最後のお別れをすることはできなかったのですが、
父がメールと電話でいろいろと状況を伝えてくれました。
火葬の時間には、(自宅からですが)手を合わせることもでき、
家族と一緒に、リックの死を悲しむことができたような気がします。
「ペットロス」なんて言葉もありますが、
やはりペットが我が家からいなくなってしまうことの悲しみや喪失感というのは、
ものすごく大きいですね。
先日、リックのいない実家に帰ってそう感じました。
家にいると、リックのゲージがあった場所についつい目がいってしまうし、
夜、リビングの電気を消すときも、
リックのために豆電にしていた習慣が体にしみついています。
「生活の中のすみずみに、こんなにもリックがいたんだね」って
家族でよく話しています。
そんな話になると、わたしはすぐメソメソしてしまうのですが(笑)
ペットの死というのは悲しいことですが、
その悲しみを家族で分かち合うということは、
家族にとって、とても大きなことなのだと思います。
若いころは、相当なやんちゃ者だったリック。
「今ごろ天国で、いっぱい悪さしてるんだろうね」って、
家族で笑いながら、リックを偲ぶことができるのも、
一つの幸せの形なんだろうなぁと思いました。