惻隠の心は仁の端なり

今日も雨です。
今日のブログは、
出張先の名古屋から帰る新幹線の中からお届けします。

今日のブログは雨にちなんで。

何日か前のことです。
この日の晩、事務所を出たら思わぬ雨。
近くの駐車場に車を停めていたので、
「これくらいなら傘なしで走ろ!」
と思い、事務所に傘を取りに行かずにダッシュしました。

そうしたら、よりによって信号が赤(ガーン!)
「あーーん、しかも結構降ってきたー。」と心でつづやきながら、
手を傘にして、信号を待っていました。

すると、私の頭の上に、すっと傘が。。。
見ると、とても人のよさそうなおじさんが、
傘を差し出してくれていました。
「信号待っている間だけでも、どうぞ。」

私はちょっと戸惑いながらも、
そのおじさんに甘えさせてもらいました。


「ありがとうございます。助かっちゃいました。」
おじさん
「いえいえ。
でも、このご時世、実は、傘を差し出すのにもちょっと勇気がいりました(笑)」

確かに。
いくらおじさんが善意で傘を差し出してくれたからといって、
私がその善意を受け入れるかどうかは、
おじさんにはわかりません。

現に私も、一瞬、
「変な人じゃないよね?」ということが頭によぎって戸惑ったわけですから。

もしかしたら、「結構です!」とか、
下手したら、「やだ!やめてください!」
なんて言われるかもしれません。

私がおじさんの立場だったら、同じことができるかな…
ちょっと自信がないかも…

そんな話を、家に帰って主人に話したところ、
主人はこんなことを言っていました。

「そのおじさんは、心が自立しているんだよ。
仮に、傘を差し出したことを相手が受け入れなくたって、
それはそれで構わないと思っていると思うよ。
受け入れるかどうかは相手が選ぶこと。

受け入れられなかったことで、
おじさんは、自分が動揺したり、心が傷ついたりなんてしない。
だから自然に、傘を差し出せるんだよ。」

なるほど。
このおじさんの話をしていて、
私は、こんなことわざを思い出しました。

「惻隠の心は仁の端なり」
人の不運を自分のことのように痛ましく思うことは、
仁を身に付ける糸口である、というような意味です。

先日のおじさんは、
まさに惻隠の心をもった方でした。

おじさん、ありがとうございます!